はじめて、兵庫県尼崎市のアスベスト写真展に行きました。
会場はJR尼崎駅の北東の尼崎市立小田北生涯学習プラザ。
工場場従業員に加えて、工場周辺の住民にも被害が広がっていたことが大きな社会問題になった、2005年のクボタショックの現場です。
アスベスト患者と家族の会 連絡会 の資料も置いてありました。
情報不足と節約の犠牲者の実態が理解できました。
この事業を紹介する尼崎市ホームページの冒頭に次のように書かれています。
永く、この時期に尼崎市内を巡回して展示されているようです。
「甚大なアスベスト健康被害を受けた尼崎市では、アスベスト問題を風化させないよう、アスベストに関する被害の実態や救済制度などを紹介することにより正しい知識を得て頂くことを目的としてアスベスト写真展を行っています。
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アスベスト飛散を防ぐ予防と対策を
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街に潜むアスベスト
アスベストは耐火性や耐熱性、耐摩耗性などに優れ、加工しやすく安価なため、電気製品、自動車部品など製品は約3000種類 。なかでも使用量が最も多かったのは建材 。そのアスベスト含有建材は、私たちの住む街のビルや建物の中に潜んでいる 。建物解体や地震などでアスベスト粉じん飛散の危険性がある 。そのためには建物のアスベスト調査、可能な限りのアスベスト除去等の早急な飛散防止と予防などの総合的対策が必要である 。
注意!建物解体工事 アスベスト粉じんの飛散
1960~70年代にアスベストが大量に使われた建物 。 その多くが解体時期になっている 。各地で杜撰な解体工事でアスベスト粉じん飛散事故が問題になっている 。
阪神淡路大震災のがれき処理で中皮腫を発症、労災認定
地震では、建物倒壊でアスベスト含有建材が散乱・粉じんが飛散する 。1995年の阪神淡路大震災でがれき処理を行なった労働者がすでに中皮腫を発症、労災認定されている 。
解体工事は飛散対策が重要
学校の教室天井に吹き付けアスベスト
駅屋根の波形スレート
米軍が横須賀市内に不法投棄したアスベスト
駐車場にも吹き付けアスベスト
アスベスト廃棄物は、特別な袋に入れて保管される
被災地で防じんマスク講習(宮城県仙台市)
津波で散乱したアスベスト含有建材(宮城県南三陸町)
東日本大地震被災地でアスベスト調査
アスベスト被害者が被災地で交流(宮城県仙台市)
熊本地震のがれき仮置場調査
アスベスト被害は工場の外にも拡がった
クボタショック
兵庫県尼崎市の大手機械メーカー・クボタ旧神崎工場では、石綿水道管を1975年まで製造していた 。2005年6月、そのアスベスト被害が工場内に止まることなく周辺地域住民に広がっていることが明らかになった 。深刻なアスベスト公害の実態を明らかにしたのは、患者自らの証言であり、患者と家族の会の調査と掘り起こしであった 。全国を震撼させた「クボタショック」である 。その後、各地でアスベスト被害者が声を上げて救済と補償を求めた 。
クボタショックを証言した人びと
左から前田恵子さん、土井雅子さん、早川義一・春美夫妻(2005年6月5日)
6月にはアスベスト被害の救済と根絶をめざす集い
尼崎では、6月にアスベスト被害の救済と根絶をめざす集いが開かれる 。犠牲者への黙祷から始まり、尼崎市長挨拶、医療関係者・研究者等が集まり、交流の場となる 。さらに、患者と家族が体験を語り、思いに歌に託す 。国内外のアスベスト被害者の貴重な交流の場となる 。
挨拶する稲村和美尼崎市長
韓国のアスベスト被害者と交流
集いは黙祷から始まる
患者と家族が自らの体験と思いを語る
“クボタ・ショック”から5年 救済と根絶をめざす尼崎集会
クボタ社長の謝罪、患者と家族の会と救済制度合意
2005年12月、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会尼崎支部の集会でクボタの幡掛社長(当時)は「ご迷惑をかけました」と謝罪した 。さらに、クボタと患者と家族の会は交渉を重ねて翌年の4月に最高4600万円の「救済金」制度を合意した 。(写真は、救済制度合意発表の記者会見)
隙間のないアスベスト被害の救済と補償を
石綿健康被害救済法
2005年、クボタショックによって深刻なアスベスト被害が明らかになり、アスベスト被害者の救済と補償を求める声が大きくなった 。救済法を求める署名は短期間で180万人を突破、患者と家族の会の遺影を掲げての国会デモなどの行動が取り組まれた 。翌年3月に「石綿健康被害救済法」が施行された 。不十分な救済対象、補償内容などの救済法の改正と、隙間のない救済と補償を求めて患者と家族は声を上げている 。
石綿健康被害救済法施行10年、尼崎市内でアピール
尼崎から救済法見直しを訴える
国会に向けて救済法成立を訴える
“緩慢なる惨劇”に立ち向かう人びと
尼崎からの伝言
クボタショック以降、アスベストに対する社会的関心は高まったが、一方で10年を超えて人びとの記憶が風化しつつある 。しかし、クボタに提出された「救済金」請求書類は300件を超え、旧神崎工場の労働者は約200人と工場内外のアスベスト被害者は500人以上と、尼崎では“緩慢なる惨劇(かんまんなるさんげき)”がつづいている 。さらに、クボタと国の被害者救済は未だ不十分なものであり、立ちふさがる壁に患者と家族は声を上げつづけている 。
国はアスベスト公害を認めるべきだ
尼崎市内にはクボタ以外の石綿工場もある 。関西スレート周辺に住んでいた塩見幸治さんは中皮腫を発症 。環境省との話し合いでは「中皮腫とアスベストの因果関係がはっきりしているのに、なぜ公害にならないのか」と訴えた 。
アスベスト家庭内曝露被害救済を訴える
旧神崎工場でアスベスト運搬に従事していた早瀬哲夫さん 。その作業着を洗濯する際に付着していたアスベスト粉じんを吸い込み、妻・キミエさんは肺がんで亡くなった 。
夫と娘の命を奪ったアスベストが憎い
古嶋右春さんの夫・美代司さんは、日本通運で旧神崎工場へのアスベスト運搬に従事 。腹膜中皮腫を発症、六八歳で亡くなった 。娘さんも胸膜中皮腫で亡くなった 。原因は、不明である 。
クボタ救済制度対象外 200m の無念
クボタの救済制度対象は、工場から半径1・5キロ以内 。1・7キロに住んでいた砂場明さんは対象外とされた 。「アスベストの飛散は1・5キロでぴったりと止まるわけではない」とクボタの加害責任を問うた 。
アスベストと闘ったおじいちゃん
旧神崎工場直近に住み石綿肺を発症した鶴谷話量さんの闘病生活を、孫娘が夏休みの日記に綴り、アスベストと闘うおじいちゃんを励ました 。
尼崎の産業公害 被害は続いています
旧神崎工場前の郵政職員寮『角田寮』に住んでいた平田忠男さんは、弟・彰さんを41歳で亡くした 。すでに、寮の住人は5人が亡くなり、一人が療養中である 。
旧朝日石綿周辺のアスベスト被害者と交流(神奈川県横浜市)
尼崎を訪ねた環境省石綿健康被害対策室と話し合い
日本通運で石綿を輸送した人、石綿水道管を輸送した人
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作業服を洗濯した人
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工場の半径2~1.5kmで生活した人
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